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アウルボーイの日記

カシワギマサルを主人公に、武道場の建設経過を書いて来ました。

カン・ソンシさんは日本人だった-1(M&SSの再起動の番外編)

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カン・ソンシさんの生い立ち(記事サイトを変更しました)

ここからはカンさんの生い立ちを紹介です。

カンさんは日本人でした。(当時の名前は榊原修二)

 

東京のT工業大学に在学し、体育系の空手同好会で3段を取得したが、それが災いで休学している。

友達と自由が丘駅前で食事、ぶらぶらと駅まで歩いている間に起きた。

 

連れの女子学生が前を歩いて居て、酔った他校の学生2~3人が肩に触ったり抱き着いたりふざけ始め、そっと寄って相手をどかしたが、しつこくて逆に榊原君の顔を殴って来た。

 

道場外では空手の技を使うのが厳禁なので、顔を引いて衝撃を弱めたが、瞬間的に右手で相手の顎を突いた。

道場外で技を使った

道場の練習時で[形]の「掌底打ち」を充分稽古しているが、受けは顔面・頭部なので不快感が残るので、「形」だけにして来た。

 

今回は至近距離で殴られ、無意識に右手をだした。

 

対人で初めて繰り出した技が酔った素人の学生を打ち、まともにあたり4~5メートル飛んで気絶していた。

 

酔った学生は初対面で遺恨は無いが、以後入院して顎の骨が折れ食事が流動食や点滴などで障碍者になるだろうと言われて居た。

 

皆の証言で不可抗力の正統防衛だから処罰は無かったが、道場では街で酔っ払いに空手の技を使ったと言う理由で、謹慎処分になった。

謹慎で海外修行  

大学の処分はないが居心地が悪く、休学して海外に反省旅行に出た。

 

海外に出たのは謹慎修行の名目だが、好きな武道で謹慎に成るなら、稽古しない修行を目指し、身近なアジアの地からスタートした。

 

語学は英語と中国語をやって居たので、最初は台湾に1か月くらい居たが、国が狭いので上海に移動した。

 

空手を封じて中國を転々としながら、時に早朝の公園などでお年寄りの中間入りをして、中國古来の武道「太極拳」のおさらいを見よう見まねで、少しづつ形になる。

 

太極拳も元は武術として発達したが平和な時代になって、身体の健康のために柔軟な動きで健康維持に継続して居るようだ。

 

榊原さんは空手の経験から体の急所など強弱を心得ているので、初対面の道場などでもこころよく体験さして呉れれた。

河南省の少林寺に寄ろうと考えたが、当初は武道から距離を置こうと考えて居たので、優雅な太極拳を楽しんできたが、次第に体が「突き」や「飛び」が恋しくなってきた。

 八極拳との出会い

一方 河北省に起源があるとされる「八極拳」は、より攻撃と防御を重視した近接戦に即した武術として、継承された居ることを知る。

 

何となく、空手意外の武道にも興味強くなる。中国の武道も空手に似た、身体を極限的に鍛えて俊敏な動作が求められる。

 

深圳の街は新宿や空き葉の様な家電や電気器具のショップが多いが、少し外れた街並みは昔ながら伝統的な中国の街(並みだ。

 

徒歩で街を眺めて歩いて居て、看板が掛かって居ないが道場から気合が聞こえ、思わず足を止めて目を瞑って練習風景を想像していた。

 

突然「你生病了吗?」(具合悪いの?)と女性の声がした。

愕いて周りを見ると、道場の窓から高校位の女の子がが顔を出して声を掛けていた。

 

 「不,没关系」(いえ 大丈夫です)と思わず中国語で返事していた。

「喔好」 (あぁ 良かった)と笑顔になっている

 

「如果您有興趣,請輸入」(興味があるなら寄ってください)と招いて呉れた。

「請給我上課」(お稽古を見せて貰います)と会釈しながら右側の方に回ると、大きな玄関が有り、さっきの女子の練習生が笑顔で待って居た。

 

外に聞こえていた掛け声は、かなり厳しい声で気合が入って居たが、にこやかでもの静な対応で、恐縮しながら、道場に案内され見所(ケンゾ)の方に行くので

「好在這裡」(ここで良いです)と膝を着くと
「請掛在這裡」(こちらにお掛けください)と道着を付けたご婦人が、見所の長椅子を指差して居る。

ここで親日家に遭遇

「お稽古の邪魔をして大変申し訳ありません」と日本語で話し頭を下げた。

すると「どういたしまして、お好きなようですからごゆっくり」と日本語が聞こえた。

 

あれっと思い顔を上げると「日本語でどうぞ」とさっきの高校生が傍で笑っている。

「日本の方ですか?」と聞くと

 

「日本人では在りませんが、一年の半分くらいは大阪とこか、横浜にゆきますので、半分は日本人かな?」とご婦人は澄ました顔で言う。

 

日本式で言うと、200畳敷きくらいでかなり広く、通りからは小さく感じるが、玄関から入ると奥へ広く、歴史を感じさせる建物で平日の午後だが50名くら稽古していた。

 

榊原くんは2時間くらい滞在し、打ち解けて八極拳を十分堪能し、手ほどきも受け空手の技も封印を解いて、存分に汗を流しシャワーも使わして貰った。

 

この事があり深圳が、身近に感じ雰囲気が気に入り、資金も底が見え始めバイトでもしようかとその足で領事館に顔を出した。

 深圳がお気に入り

領事館の職員が「バイト探しで領事館に来るなんて珍しい人だなぁ」と笑っている。

榊原くんは、真剣な顔で、「そんなに珍しい事なんですか?」と声高に聞くと、隣にいた中国の親子が興味有りそうな顔で、何か話している。

 

榊原さんが、得意の広東語で「何か御用ですか?」と聞いて見ると、二人は驚いて顔を見合わせ喜んでいる様だ。

 

榊原くんは、変だなぁと思いながら相手を見ていると、お父さんらしい男性が
「貴方は中国へ留学しませんか?」と変な質問をして来た。

 

するとさっきに職員が「あぁそれは良いアイデアだ」とこの三人は納得して喜んで居る

 

深圳って変な街だなぁと感じながら、
聞いて見た「僕がここへ留学したらいいことが有るんですか?」と聞いて見る。

 

「それは良いことですよ、私の会社でアルバイトが出来ますからね」と訳が分からないことを言っているこのおじさんは中国人だろうに、日本語が上手いなぁと感心した。

 
領事館の書記官も、おじさん親子とは知り合いのようで、中国語をまじえて日本語で分かり易く話してくれた。

 榊原さんがカンさんに変身切っ掛け

おじさんは、カンさんと云い深圳で衣料品の縫製工場を経営し、領事館とも付き合いが有り信頼された間柄らしい。

おじさんは社長で、若いころ日本の大学を卒業し縫製会社の経験を活かして、深圳で縫製工場を始めた人らしい。

 

最近社員の素行が悪くなり、中国の風土と云うか、中間の業者や役人が悪い見本で、賄賂の強要が平然となり社員のモラルも落ち、製品も粗悪だとクレーム続出のようだ。

 

 領事館に相談に来たのが、日本の留学生と人材を紹介して呉れと頼んで居たところへ、榊原さんがバイト探しで偶然めぐり合したことになる。

 

 榊原さんは、深圳とホテル住まいで旅行者なので、その辺から話すと
「それは大丈夫、うちには空き部屋が沢山あるから、10人でも20人でも大丈夫です」とカン社長が明るく笑う。

 

まだ決めた訳でもないのに「夕飯は何にしますか」見たいな調子だ。

 

隣で、カンさんの娘が「何か手伝う事ありますか?」と日本語で聞く。

 

「そうですね、何が始まったのか良く分からないのですが、大学を辞めるか迷って居ます」と言うと

「辞めなくても良いです、留学すれば好いです」と簡単に言う。

 

「留学って言っても、簡単には行かないでしょう」としょぼくれる。

「大丈夫です、うちの大学と東京工業大学はお友達だから、簡単です」と云う。

 

「どうして自分の大学が分かったのですか?」と聞くと、娘のユウリンは

「簡単です、榊原さんが持って居る手帳に書いてあるでしょう」と指を差した。

 

「あっつ これねぇ、そうか「TIT」と自分の名前もあるねぇ」と自分で驚く。学生手帳は身分証明書にもなるから、手放すな、と言われて旅だったが気付かなかった。

 

なんだかんだとその日は夕方までカンさんの会社見学になり、ご自宅で夕食もご馳走になり、カンさんの弟さんにホテルまで送って貰う。

 

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深圳は夜になっても目を離せない街だ!(^^♪


「明日は9時ごろまで朝食を終わらしてください、お迎えに来ます」と帰って行った。

取り敢えず、長野の実家に話し大学をどうするか決めなくちゃと悩ましい。

 

その夜は、実家に電話し両親を説得して、大学の手配を頼む、一度はかえって手続きが必要だが、明日は工場の見学も組みこまれている。

 

1週間ほどして大学の教務課から携帯に電話が来て、自筆の留学依頼書が必要で一旦帰国するか書類を送るから記入して逆送して呉れと言う。

 

今は、住所がハッキリわからないのでメールで送ることにする。いつの間にか、中國の学生になる手続きを進めていた。